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2009年05月

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カセットプラント ファクトリー通信 vol.0012 (バックナンバー)

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 カセットプラント ファクトリー通信 vol.0012  2009/5/14発行
              
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●目次
【1】青森 弘前便り(その3)
   2006年『建築家・前川國男 生誕100年祭<弘前で出会う 前川國男>』
【2】展覧会情報


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【1】青森 弘前便り(その3)
   2006年『建築家・前川國男 生誕100年祭<弘前で出会う 前川國男>』

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今からちょうど3年前、2006年5月14日から「前川國男生誕100年祭」のイベントが
弘前市民会館で行われました。
主催の「前川國男の建物を大切にする会」の折谷さんの発案により、この企画に
カセットプラントの展示が実現されることとなりました。
これまでに発行された「青森弘前便り(その1、その2)」に続きまして今回はその3、です。
前回までは、カセットプラント展示がどのようにして実現されることになったのか、
そのエピソードが弘前の魅力とともに、前川國男にまつわる事柄を交えながら
綴られてきました。*「青森弘前便り(その1、その2)」はコチラでご覧いただけます→
http://cpfactory.blog56.fc2.com/

今回は、山口氏が下見と打ち合わせのために弘前に訪れた翌日の場面から始まります。



               ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○



翌日弘前はみぞれ混じりの小雨が降っていた。

山口氏を迎えに上がり、津軽塗の老舗「田中屋」で漆塗りの工程を見学した後、
打ち合わせのため店舗内にある喫茶室へ向かった。
「北奥舎」は茶室のような、小ぢんまりとして落ち着いた空間である。
山口氏が日々生活の中でお茶の時間をとても大切にしておられるとお伺いしたので、
きっと気に入って頂けるだろうとご案内した。

帰国直後に弘前まで1泊2日という慌ただしい日程でお越し頂いたこともあり、
短い滞在時間の中であっても、弘前特有のしっとりと趣のある場所に
ご案内したいと思っていた。
制作を前に、歴史的な建築物や工芸品、食を通して
城下町弘前を少しでも感じ取って頂きたかったのである。

珈琲の香ばしい香りでリラックスした雰囲気の中、要の費用や、準備に必要なもの、
制作の工程などを打ち合わせした。
山口氏はそれぞれの件について丁寧に説明してくださったため、この時ほぼ制作から
展示までの流れがイメージできた。

弘前での工程は、100年祭当日の前々日に山口氏に来て頂き、山口氏ご指導
のもと、カセットケース約1000個に生の花を入れていく作業をし、その日のうちにその
作業は完了させ、その翌日は朝から弘前市民会館に足場を設置し、カセットケー
スを展示場所の窓ガラスに貼りつけてゆく。
全部貼り終えたら、すぐに足場を解体
撤去し、当日を迎える、というものだ。

作業をスムーズに終えなければならないため、ボランティアスタッフを充分に集めなけ
ればならないだろう。カセットケースに花を入れてゆく作業の日は夜中までかかっても
絶対に作業を終えなければならない。

足場の件も頭が痛い。

前日と当日に搬入搬出を、前日はカセットプラントを展示す
るため、当日はカセットプラントを撤去するために、二日連続で搬入搬出、足場の
組み立て・解体をしてもらわなければならない。
展示した後、解体した足場を置いておくスペースが市民会館にはないし、
仮にどこかに置かせて頂いてもつまづいたり、
邪魔になったりとご迷惑をおかけすることになるため、
やはり一旦運び出してもらわなければならないだろう。

しかもリース期間としてはたった2日などという効率の悪いことを
引き受けてくれるリース会社などあるのだろうか。
でも見つけるしかない。

それにしても、まずはカセットプラント展示の許可だ。
もう運を天に任せるしかない。
初めてのことでもあり、焦りと不安はあったが、山口氏が何につけても大変協力して
くださって、とてもあたたかいお人柄だったため、私たちのプレッシャーは幾分和らいだ。

ようやく今日のところの打ち合わせは終了。
初めてお会いした昨日から、今日のより具体的な打ち合わせが無事済んで
一同ひと安心。
昼食を取りに場所を変え、地元で人気のパエリアを頂きながら会話がはずんだ。

弘前のこと、前川國男のこと、山口氏の作品のことや、
最近山口氏は建築にも興味をお持ちでいらっしゃることなど、話題は尽きなかった。

次に山口氏にお会いできるのは本番の時である。
現場の下見が目的ではあったが、今回、こうしてお互い顔を見て打ち合わせすることができ、
食事を共にしてざっくばらんにいろいろな話をすることができたことは、
これから当日までの膨大な電話やファックス、メールでの打ち合わせを考えると、
ご本人にお会いできたことは本当に良かったと思った。
信頼関係を築けたかどうか、そこまではわからないが、
一緒に食べたり話したりということは、とても大きな意味があったはずだ。
山口氏は夕方の便で帰路についた。

私たちはまず、弘前市民会館の館長、田中弘子氏に前川國男生誕100年祭の
主旨と共にカセットプラントの展示許可をお願いし、しばらくお返事を待つことにした。

同時進行で、展示する窓の図面をお借りしコピーさせて頂いた。
時間がなく、お借りしたその場のコピー機を使用させて頂いたため、
A3サイズで何枚もコピーをとった。
それらをセロハンテープで貼り合わせ、縮尺を計算して、一つ一つの窓の寸法を出した。
なぜか図面には窓枠の寸法が全く入っていなかったためだ。
その寸法を山口氏にお伝えし、それぞれの窓に何個必要かを山口氏が計算するのである。

足場の件は、ともかく専門業者に聞いてみなければ私たちでは何もわからないので、
誰かに専門の業者を紹介してもらえないか考えていたが、
私の家の家業が建設業であり、社員の誰かに聞いてみればよいのだと、気づいた。
我に返ったようにはっとしたのだが、自分で自分がおかしかった。
それほど、この一連の件では緊張と焦りで一杯になっていたのである。

社員の現場担当者に事情を話しお願いしたところ、
通常取引のあるリース会社にはすべて断られたということだった。
やはり効率が悪いこと、二日間特殊な時間割での
作業人員が用意しずらいということらしい。
ともかく、この条件を引き受けてくれるところを探すしかない。

カセットケースに生花を入れる作業のボランティアスタッフも募り始めた。
地元弘前大学の学生や前川の会のメンバー、日頃会の活動に参加してくれる方、
友人、知人、目一杯声をかけた。

そんな中、田中館長から朗報が届いた。

カセットプラントの展示の許可が降りたのだ。
もう嬉しいやら何やら訳がわからない状態だった。
ほっと胸をなで下ろした。
見切り発車でスタートしたカセットプラントが前川國男生誕100年祭のプログラムとし
て実現することになったのだ。
嬉しくて呆然とした中、感慨深いものがあった。
田中館長はじめ、弘前市の関係部署の方に深い感謝の思いが込み上げた。
前例のないことであり、相当にご尽力頂いたはずである。
こうしてカセットプラントは弘前での実現へと船出した。

準備中にはよく手を止めて、山口氏が下見にいらっしゃった際に持参された
個展の図録のページを幾度となくめくっていた。
「空気柱 光の回廊」と題された2003年高崎市美術館での個展の
図録である。
山口氏の作品はカセットプラントしか知らない私たちはこの図録で
初めて他の作品を見て歓声を上げてしまった。
大きな銅版画、絵画、本を使った作品、蜜蝋など様々な素材を使った作品。
美術作品を表現する言葉を知らないが、どの作品も好きだと思った。
作品のタイトルも言葉から想像が広がる。
カセットプラントの件でいろんな方とメールや電話で打ち合わせ
をしている合間にこの図録を見ては想像をめぐらしていた。

155頁ある中で数ページだけ、小さな建物に展示された写真があり、山口氏による
とそれは第2会場としての高崎哲学堂というところだそうだ。
旧井上房一郎邸とあり、高崎市美術館と隣接しているようである。

シックな建物は非常に魅力的で、興味がわいた。

井上房一郎氏(1898-1993)とは群馬交響楽団の創設など文化芸術に力をつくした
高崎出身の実業家だそうだ。
調べてみると、井上氏はブルーノ・タウトを支援した人物だということではないか。
心臓がかすかにドキドキしてきた。
彼の招きでタウトは高崎の少林山達磨寺境内にある洗心亭という建物で
約2年を過ごし(1934~1936年)、1936年にトルコへ移住したということである。
タウトはこの洗心亭を拠点に北陸から東北地方をまわった際に
弘前へも訪れ、前川の処女作品、「木村産業研究所」に出会ったのだろう。

また、高崎哲学堂は井上房一郎氏の自邸で、親交のあった建築家、アントニン・レ
ーモンドの東京麻布の家を大変気に入り、自邸としてほぼ同じものを高崎に建てた
という。(1952年)
そう言えば、1930年に前川國男がル・コルビュジエに師事したパリ留学から戻って
最初に入ったのが、このアントニン・レーモンドが日本で構えていた事務所である。

レーモンド事務所時代に前川に木村産業研究所の設計依頼があり、
竣工は1932年となっている。
ブルーノ・タウトは1934年からの2年の間に弘前に訪れているなら、
ほぼ竣工直後の木村産業研究所を見ていることになる。

手を止めて様々なことに思いをめぐらせていると、浮かんでは消えていく点と点が
うっすらと繋がりそうになる。これは何なのだろう。

弘前で前川國男生誕100年祭の一環としてカセットプラントを準備しているはずが、
思いもよらぬところで前川國男と山口氏をとりまくものが繋がってゆく。
展示許可が降りて興奮気味な私の思いは錯綜するばかりであった。


折谷小百美


*人物の注釈

ル・コルビュジエ(1887 - 1965年)
スイス生まれ、フランスを中心に活躍した建築家。
モダニズム建築の提唱者で、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に
近代建築の三大巨匠と呼ばれる。
日本では、東京国立西洋美術館の基本設計を行い、弟子の前川國男、板倉準三、
吉阪隆正が実施設計を担当した。


アントニン・レーモンド(1888 - 1976年)
チェコ出身の建築家。
フランク・ロイド・ライトのもとで学び、帝国ホテル建設の際に来日。
日本に開設したレーモンド設計事務所には、前川國男、吉村順三、などの建築家が学んだ。


ブルーノ・タウト(1880~1938年)
ドイツの東プロイセン・ケーニヒスベルク生まれの建築家、都市計画家。
ナチス政権から亡命し、日本文化に巡り会う。日本の美を探訪する中で、
桂離宮を再発見したことではよく知られている。『日本美の再発見』など著書多数。



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【2】展覧会情報
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【只今開催中!】


山口啓介関連>>>

◆照沼コレクション展
会期:2009年4月22日(水)から7月5日(日)月曜休館日
会場:茨城県近代美術館
主催:茨城県近代美術館
連絡先:TEL029-243-5111/FAX029-243-9992



【今後の活動、展覧会情報】


新潟市で開催される「水と土の芸術祭2009」に山口啓介さんが参加します!

●水と土の芸術祭2009

会期:2009年7月18日(土)→12月27日(日)
会場:新潟市全域726km2(日)
料金:一般 2500円 (前売り 2000円)/学生、65歳以上 2000円(前売 1500円)/
    小中高校生800円(前売 500円)

主催:水と土の芸術祭実行委員会
実行委員長:篠田昭(新潟市長)
ディレクター:北川フラム(アートディレクター・新潟市美術企画監)

お問い合わせ:水と土の芸術祭実行委員会事務局
(新潟市交流推進課 水と土の芸術祭推進室内)
〒951-8550 新潟市中央区学校町通1番町602番地1
TEL.025-226-2103/FAX.025-228-6188/E-mail: koryu@city.niigata.lg.jp

市民サポーターズ会議事務局「みずっちたんく」
〒950-0123 新潟市江南区亀田水道町2-4-3
TEL.025-384-0926/FAX.025-384-0927/E-mail: tank@mizu-tsuchi.jp

*会期中カセットプラントの展示とワークショップも開催される予定です。
サポーターの皆さま、ご協力のほどよろしくお願い申しあげます!




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